| 国立公園と海中公園(わが国の自然公園制度)
自然公園制度は、日本だけでなく、世界中で採用されている自然保護の制度の1つです。
わが国における自然公園制度の原点は明治時代初期にまでさかのぼります。当時の人々は、維新の動乱期を経て荒れ果てた名勝や社寺境内を保護するために、都市公園や厳島公園や吉野公園など風致保存のための公園を作りました。そして、この意識の高まりは国立公園設置運動へとつながっていきました。
大正期に入ると、当時の内務省は国立公園制度導入の検討に着手しはじめます。1921年には上高地や白馬、雲仙など16ヵ所の候補地が選定され、これを受けて、国立公園設置運動は全国的なものとなりました。1931年にはアメリカの国立公園にならって、「自然の大風景地を保護するとともに、国民の保健、休養、教化に資する」(旧国立公園法第1条)ことを目的としたわが国の国立公園法が制定されました。翌年からは候補地の選定がはじめられ、1934年から36年にかけて瀬戸内海、雲仙、霧島など12の地域が国立公園に指定されました。畠山(2004)は、これらの指定地を概観し、当時の国立公園の設置には「日本美の宣伝による国威発揚や外国客誘致にねらいがあった」と指摘しており、当時の国立公園制度は自然保護よりも名勝地の格付けといった面で認知されていたといえます。
この後、わが国は15年戦争の時代へと突入します。戦争は国立公園に指定するに相応しい大風景地といった自然景観をことごとく奪い去ってしまいました。そういった背景から、戦後は、1949年の国立公園法が規定する「国立公園ニ準ズル区域」(旧国立公園法11条の2)を指定する流れが活発になり、各地の景勝地が国定公園として認知されるようになりました。また、この時期には、全国の都道府県が独自に自然公園を指定する潮流も見られ、制度の混乱を招きました。そこで、この混乱を整理するために、1957年にそれまでの国立公園法を改正して自然公園法が制定されました。この法律は、自然公園を「国立公園、国定公園、都道府県立公園」の3つに分類し、ここに現在の自然公園制度の基礎が誕生しました。
1970年には、自然公園法の一部改正によって、すぐれた海中景観を有する海域として、国立公園・国定公園の海面内に指定されている区域を採り上げて、海中公園区域とする制度が導入されました。この制度に「竜串」の海も含まれています。具体的には、海中公園は「海底地形に特色があり海中動植物が豊富であること、海水が清澄で河川等による汚染のおそれが少ないこと、水深が20m以内であること、潮流・波浪があまり厳しくないこと、桟橋、休憩所、自然教室、駐車場などのための土地が周辺にあること」などの条件を満たす地区から選ばれます。このことから、私たちは「竜串」の海とその周辺地域の自然を永続的に維持・再生する必要があります。また、それだけでなく、その自然を自然体験や環境学
習の場として活用したり、交流や憩いの場として利用するなど、「竜串」の自然が、地域内外の人々のふれあいの場として、健全に利活用されるべき存在である
ということもわかります。
その後、自然公園法にはさまざまな規制条項が追加されました。例えば、2002年には、特別地域内に利用調整地区を設けたり、公益法人、NPO法人等が風景地や登山道を管理する公園管理団体制度の創設等の改正がなされています。これは、近年、自然公園利用者の増加による生態系への悪影響や絶滅危惧種に指定される動植物の採取の問題が顕著になったことを示し、同時に、社会的に真の意味での自然保護への関心が高まってきたことを意味しています。
現在、わが国の自然公園法は、自然公園の目的を「優れた自然の風景地を保護するとともに、その利用の増進を図り、もつて国民の保健、休養及び教化に資すること(第1条)」であると謳っています。私たちは自然公園のゆたかな自然とふれあいながら、その自然を維持していく必要があるのです。
【参考文献】畠山武道(2004)
『自然保護法講義 [第2版]』. 北海道大学図書刊行会
|